労働の辛さが身に染みる冬
労働の辛さが身に染みる、冬。
いや、実際、冬と夏は気候も極端なので、労働環境も自然と悪くなりますよね。
春は春で新鮮な体験を求めて、思わず退職願を出したくなるし。
秋が一番マシかもしれませんね。秋は特に何もない気がします。
どうも、こんばんは。2次元無能202です。
つまんねえ話してんじゃねえよ知るかよボケェ! と叫んだ社畜の方々、少し気を落ち着けて下さい。心に余裕がなさすぎます。
こういったどうでもいい話を、日々だらっとできる環境。それこそが理想です。心の余裕というやつです。
ああ、間違っても、社畜達の「仕事(笑)を円滑に回すための世間話」とか「仕事(笑)を円滑に回すための飲み会」とか、そういうのではなく。
ごくごく自然に、感情を表現できる環境。場。そういうの、とても重要だと思うのです。
我々労働嫌いの労働者は日中、「早く辞めてええええ」と心の中では慟哭しながら、しかし、泣きも叫びもせずに能面のような顔をして生きています。
実に抑圧的な人生を生きている、と言えると思います。
僕などは、本当のことを言うといつも泣きたい。何故、このような運命になってしまったのか。どうして、僕は自由になれないのか。いつもいつも、泣き出したい気持ちでいる。
だから、ほら、やっぱりね。ブログでぐらいは、自然に心の内を吐き出してもいいんじゃないか、っていうね。
だから、言っていこうぜ。みんなも言おうぜ。
辞めたい、ってさあ。ふざけんなよ、ってさあ。こんなのおかしいよ、ってさあ。
だって、そんなの、辞めたくないわけないじゃないか。
自分の人生とは何の関係もない、直接自分の利益に繋がるわけでもない、社会的意味も個人的意味も他の何らの意味も到底感じられない、心底どうでもいい、下らない、労働。
そんなものを毎日させられて、まともな人間が、納得できるわけがない。
みんな、きっと、本当は納得していない。いつかきっと、と日々念じているはずと思う。
ですので、頑張りましょう。いつか労働の呪縛を打ち破れるその日を目指して、「辞めたい辞めたい」言い続けながらも、歩いて行きましょう。
そういえば、「辞めたい」と口に出してしまうと、本当に辞めたい気持ちになってしまうので声に出して言わない方が良い――といった主旨の助言をしてくる方もいますが。
聞いた者のやる気もなくさせてしまうので言わない方が良い――といった主旨の助言をしてくる方もいますが。
んなこたあねえよ、馬鹿げたこと言うなよ、と僕は思う。
辞めたいから「辞めたい」と言う。それはあまりにも自然なことだ。
逆に「辞めたい」という言葉を発しようとしている時点で、その人は確かに辞めたいのだから、変に抑圧したっていいことなんてあるわけがない。
また、「辞めたい」という言葉を聞いて、やる気をなくすような人間は最初からやる気なんてないに決まっているのだし、だったら、「辞めたいなあ」「辞めたいよねえ」と共に自然な感情を以って共感し合う方がずっと健康的で建設的だ。
そもそも、労働にやる気なんて求めるなよ。やる気が必要って、一体、どんな大それたことをやっている気でいるんだよ?
それ、所詮、労働ですよ? 世の中に代わりなんていくらでもいる、代替可能な、それなりに適性のある人間なら誰でもできる作業ですよ?
価値、ないよね? いちいち労働ごときに、やる気なんて求めるなよ。図々しい。