「労働」≠「仕事」
どうもどうも、2次元無能202です。
さて、これは記念すべき二度目の記事となります。
本日は社畜の皆さんが大好きな「仕事」の話をしたいと思います。
皆さんは「仕事」という単語に、どのような印象を持っているでしょうか。
僕はアレです。「ああ、仕事ね。いいよね。生き甲斐だよねっ。やりたいっ」と心から感じております。
え? 202は仕事を憎む生粋のセミリタイア主義者だったんじゃないのか、って?
スタートからまだ二度目の記事なのにもう前言撤回かよクズが、って?
いえいえ、とんだ誤解です。僕は元々、「仕事」を憎んだりなんてしていませんよ。
僕が憎んでいるのは、「労働」だけです。
違いがわからない? この際なので、はっきりと申し上げておきます。
僕やあなた方が、生きるためだけに行っている悲哀に満ちたあの活動のことを、僕は「仕事」とは認めておりません。
僕やあなた方が行っているのは、「仕事」ではありません。苦役であり、ただの「労働」です。
僕が「仕事」と認めるのは、生活やお金のためだけではない、必ずこれを為すべきだという高次の内的要求に由来する活動だけです。
あなた方は、今の職場の作業内容に高次の内的要求を感じますか? 是非これをしなければならない、これを為し遂げなければ到底死ねない。そう感じますか?
もちろん、そんな風には感じないでしょう。
だって、「生活が苦しいから」。「上司に言われたから」。「辞めたら世間からどんな非難を浴びるかわからないから」。だから、働いているだけでしょう。
かくのごとき低次元な外的要求に端を発する僕らの作業は、「仕事」ではありません。ただの「労働」です。
自分自身の生命や家族を人質に取られて、僕らは強制的に労働させられているわけです。いわば、奴隷と何ら変わるところがないわけです。
だから、僕は「労働」を深く憎んではいますが、「仕事」を憎んではいません。
セミリタイア主義者の人達は、ほとんど皆、退職した後は気楽に遊んで暮らしたいと考えているようです。
基本的には、僕も同様です。職探しなんてやる気も起きませんし、会社に入ろうなんてかったるいこと、まず思わないでしょう。
でも、正直に言ってしまうと、僕は自分が心から胸を張って「仕事」と言えるような生業を見つけたいと本当は心の底では思っています。
それはお金が発生しなくても良い。
ただ、「ああ、僕はこれをするためにここまで生きて来たな」と信じられるような活動。
そういった「本当の仕事」の実在を僕は否定したくありませんし、否定する気もありません。
否定するどころか、いつか、きっと見つけたいと。見つけて、そこに力を注いで生きて生きたいと。
何を始めても長くは続かない怠け者のくせに、僕は、そう考えているのです。
本日の記事執筆BGMはこちらになります。
『痕』のアレンジBGM『ためいき』。いやあ、それにしても、あの頃はエロゲが熱かったですね。
まあ、僕は大分遅れてプレイしたクチですけど……。